江戸時代の天ぷら・そば・寿司・うなぎ 江戸のファストフード、四大人気飯
天ぷら一串四文、寿司一貫八文。
屋台で売られた四品を、当時のつくり方で再現しました。

この記事でわかること
- 江戸の四大人気飯とは天ぷら・そば・寿司・うなぎの四品
- いずれも屋台で売られ、天ぷら一串四文、寿司一貫八文(現代で約150〜500円)
- 江戸は男性過多で独身が多く、自炊できない者を屋台が支えていた
- 天ぷらの衣はうどん粉と水だけ。そばのつゆは味噌ベースの「煮抜き汁」
- こはだ・マグロは縁起が悪いとされ、武士は食べなかった
江戸時代の四大人気飯とは
江戸時代の四大人気飯とは、天ぷら・そば・寿司・うなぎの四品を指します。 いずれも屋台で売られ、天ぷら一串四文、寿司一貫八文、そばとうなぎは十六文。 現代でいえば約150円から500円前後で、江戸っ子にとってはファストフードでした。
江戸時代、長い時の中で様々な文化が発展しましたが、最も発展したのは食文化でした。 その中で庶民たちの生活の支えになっていたのが「屋台」です。
当時の江戸の街には、煮物を売る「煮売り屋」、イカだけを扱った「イカ屋」、団子や汁粉を扱う「甘味屋台」など様々な屋台が立ち並び、江戸っ子たちの腹を満たしていました。
その中でも特に愛されていたのが天ぷら・そば・寿司・うなぎ。 現代でも愛され続けるこれらが、当時「江戸の四大人気飯」と称されていました。
今でこそ高級、当時はファストフード
屋台文化が発展した理由として、当時の江戸の町は男性の割合が高く、出稼ぎ労働者や武士、職人等が多く集まり「男性過多」となっていたことが挙げられます。 その中でも独身男性が多く、自炊ができない江戸っ子がほとんど。そんな彼らに重宝されたのが屋台飯でした。
値段は、天ぷらが一串四文、寿司が一貫八文、そばとうなぎは十六文。 現代の価格に換算すると、どれも約150円から500円前後という驚きの安さです。
一品目・天ぷら

使うのは江戸湾でとれていた食材たち。こはだ、芝エビ、スルメイカ、アナゴ、そして貝柱の代わりにホタテ。 ホタテは江戸後期になると現在の浦安で養殖が行われていたそうです。
天ぷらの語源は諸説ありますが、ポルトガルから伝来した料理「テンポーラ」から来たという説が有名です。 カトリックの斎日に肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に小麦粉で衣をつけて揚げた料理を食べていたことから伝わったとか。
衣は、うどん粉と水だけ

江戸時代の衣は現代と異なり、うどん粉と水だけで作られていたらしく、 『料理歌仙の組糸』では「てんぷらは何魚にても饂飩の粉まぶして油にて揚げる也」といっており、まさに江戸らしい豪快でわかりやすい料理方法です。

天つゆは醤油と煮干し出汁を混ぜ、大根おろしをたっぷり入れます。 大根おろしは天つゆに清涼感をもたらし、また天ぷらの脂をさっぱりさせるのにも適していました。
当時は厚めの衣でじっくり時間をかけて揚げていましたが、後期になるとカラッと薄い衣をまとわせ、 提供時間を短くすぐに出せるようになっていったといいます。
二品目・そば

江戸では「毎町一戸アリ」と言われるほど、どの区画にも必ずそば屋があり、江戸っ子たちに人気でした。 今回は江戸中期に書かれた『本朝食鑑』をもとにしています。
そば粉を入れ終えたら熱湯を注ぎ「水回し」。おから状になるまで少しずつ熱湯を加えながら混ぜ、まとまってきたら一つのそば玉に。 これを円錐形に整え、手のひらで平らに伸ばしてから、こね鉢を出てさらに伸ばしていきます。


つゆは当時、味噌を使う「煮抜き汁」と呼ばれるものが主でした。 水で溶いた味噌をこし、酒と鰹節を加えて弱火でじっくり煮込み、ザルで越したら完成です。
薬味は大根おろし、焼きのりを手でちぎったもの、柑橘類の皮をすり鉢で粉末状にしたもの、そしてわさび。
三品目・寿司

『守貞謾稿』をもとに、当時の屋台で売られていた押し寿司と握りずしを作ります。 屋台には押しずしと握りずしが並ぶことがよくありました。握りずしは華屋與兵衛が押し寿司を改良し、迅速で食べやすい形として生み出されたものです。

武士が食べなかった魚
こはだは実は、当時の武士が食べない魚でした。 こはだはコノシロという魚の幼魚で、コノシロは「この城」、つまりお城を食べたり焼いたりといって縁起が悪いものとされていたのです。
マグロもまた、獣の肉のように赤いことから「宍肉(しびにく)」と呼ばれ、「命を落とす日」と読み方が同じことから、武士からあまり縁起のいい魚とは思われなかったようです。
シャリは白酢ではなく、酒粕を醸造した赤酢を使用。香りが強いですが、まろやかな味わいが特徴です。 シャリは現代より大ぶりで、まさにおにぎり感覚でした。
四品目・うなぎ

うなぎの歴史は古く、奈良時代の文献にはすでに出ていたそうです。 ぶつ切りにして串に刺し焼いたことから始まった「蒲の穂焼き」。この形が池に生える蒲の穂に似ていることが名前の由来で、 のちに『守貞謾稿』で、丸ごと串に刺して焼く姿が蒲の穂に似ていたことから「蒲焼き」と呼ばれるようになったと書かれています。
関西では腹開きが主流ですが、江戸では「腹を切る」ことを嫌う武士の影響で背開きが定着したと言われています。
土用の丑の日と平賀源内
現代でもよく聞く土用の丑の日。諸説ありますが、蘭学者の平賀源内が、うなぎ屋に「夏はうなぎが売れなくて困る」との相談を受けた際にアドバイスをしたことから生まれたそうです。
「土用の丑の日はうなぎの日」という張り紙を貼って宣伝してみてはといわれ、実践したら大繁盛。 それをみた他のうなぎ屋が真似をし、これが定着していったという説があります。


たれは現代のような甘辛いものではなく、当時は醤油とみりんを合わせたシンプルなもの。 次の工程に「蒸す」がありますが、屋台ではこれをすっとばして、もうたれをつけて焼いていきます。せっかちな江戸っ子らしいところです。
タレをつけては焼く作業を3から4回繰り返すと、美しい照りが生まれます。

四品を食べてみる

当時の江戸っ子たちにならい、立ち食いで失礼いたします。
天ぷら ―― 屋台で串のまま食べる
どれも身は柔らかくジューシーで、サクっとした薄い衣との組み合わせが絶妙。 早く提供するから生まれたものらしいですが、だからこそそれぞれの食材の本来の味が楽しめます。 天つゆは醤油の味が現代よりも強いですが、大根おろしでさっぱりと食べやすくなっていました。
そば ―― 煮抜き汁が意外にも
現代のそばより風味が強く、手打ちならではのざらざらした食感。 煮抜き汁は薄味かと思いきや、味噌と鰹節の風味がそば本来の味を引きたてていました。 また柑橘系の粉末薬味が意外にもそばの風味を強くして、見事に調和していました。
寿司 ―― 一貫で腹がふくれる
押し寿司は一晩寝かせた効果で、具材の旨みが酢飯に移り一体感のある味に。特にシャリの間に入っている椎茸がいいアクセントです。 一方の握り寿司は赤酢の独特な風味と、現代より大ぶりなシャリで食べ応えも抜群。 こはだの酸味、マグロの醤油漬けの濃厚さ、どれも力強い江戸の味でした。
うなぎ ―― 江戸前の貫禄
かば焼きは醤油とみりんだけのたれが深い味わいで、現代のかば焼きの原点を実感します。 表面がパリッとしており、何より身はふわっと、ほろほろと。江戸前といわれるだけの貫禄が口の中に広がりました。
本編動画
参照した史料
- 喜田川守貞『守貞謾稿』後集巻一 ―― 押し寿司・握りずしの記述(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 同『守貞謾稿』巻五・巻六 ―― 鰻・蒲焼きの記述(同)
- 『本朝食鑑』(江戸中期・味の素食の文化センター所蔵) ―― そば。国書データベース
- 『料理歌仙の組糸』 ―― 天ぷらの衣。制作時の素材に原典リンクの記載がないため、書名のみ記載します



